2019.06.02

時代の風~第28回 高等教育とは 次世代担う人材育てよ(2019年6月2日)

高等教育とは 次世代担う人材育てよ

昨今、大学改革がさかんに叫ばれている。文部科学省の中央教育審議会でも、国立大学協会でも、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議でも、大学改革の大嵐だ。そこで、問題にされているのは、最近の日本の科学が、世界の潮流の中で、だんだん小さな存在になってきているのを何とかせねばならないということと、そして、大学がもっと経済の発展に貢献せねばならない、ということだ。

世界での日本の科学的存在感が小さくなってきているのは本当だ。日本発のトップレベルの論文数が減ってきている。その原因の一つは、日本の多くの会社が、1990年代以降、経済的な苦境に陥った結果、独自に持っていた研究所を次々と閉鎖したことだろう。かつて、企業の研究所が行っていた研究レベルは高く、論文の出版数も多かった。しかし、バブルがはじけ、独自に研究を担うことができる体力のある会社が少なくなった。そこで、大学にもっとイノベーションに貢献してくれ、ということなのだが、大学はそのように産業界と連携する仕組みにはなっていなかった。

それが今や、産学連携、大学発ベンチャーの立ち上げ、大学の地方創生への貢献、といった話題にあふれている。大学は、国の経済を活性化させる原動力の一つとみなされ、その任務を果たすように期待されている。実際、各大学はさまざまな工夫をしている。まだまだ障害はあるのだが、昨今の様子は、かつてとは比べものにならない。

それは、それでいい。大学にそのような期待があるのは当然だろう。しかし、大学の本来の存在理由は、次世代を担う人材を育てるための高等教育を提供することにある。

では、次世代を担う人材を育てるとはどういうことか?それは、まっとうに生きて、社会をよい方向に動かしていける原動力となる人間を育てるということだ。高等教育を受けた人間は、目先のことだけではなく、大きな視野を持ち、批判的な目を持って、やるべきこととやるべきでないこととを臨機応変に判断し、社会をよい方向に引っ張っていける人間である。この大きな目的からすれば、イノベーションを起こして日本の経済に貢献するというのは、ほんの一部に過ぎない。

私が思うに、残念ながら、今の大学改革の議論でまったく不十分なのが、この教育の目的のところである。高等教育を受けた人間は、何ができて、どんな力になるのか。国民は、その点で大学に何を期待しているのか。

最近は、先述のような動きがあるので、地方の大学の学長さんたちも、その地の産業界その他とよく会合を持っている。

そういう話などを聞いていると、地方の大学が輩出している人材は、その地方の行政や経済にとって、やはり大変に貴重な存在であるらしい。

日本が自由主義、民主主義という価値観のもとで社会を繁栄させ、国際社会でも指導力を発揮しようと思っているのならば、そのような社会において、高等教育を受けた人間とはどういう人間なのか、そのイメージを国民的に共有せねばならないと思うのである。

しかしながら、これまでの歴史は不幸であった。戦後の新制大学になってから本当に長い間、大学を卒業した人間を採用する企業などが、その大学で何を身に付けたのか、大学教育を受けてどのように成長したのか、ということを、さして問わずに採用を行ってきた、というのが現実だったのではないか。端的に言えば、大学に序列をつけ、どこの卒業生かということこそが大事だった。だから、学生にとって、よい学校に入るための大学受験が最も大事だったのであり、入学後は大学ではほとんど遊んでいました、という事態がまかり通っていた。

しかし、今やそういう時代ではないのである。入学試験の難しさではなく、その大学がどんな教育を提供し、卒業生がどんな人間として世に出て行くのかがもっとも大事なのだ。学生自身と、親と、採用する企業その他と、3者がすべて、そのように大学を見るように変わっていく時代なのである。世界の大学は、そのような観点でアピールしている。日本の社会全体が、大学教育の価値を見る目を持たなければ、日本の大学は世界の中で取り残されてしまうだろう。

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