2018.05.13
時代の風~第19回 リスク回避偏重の社会(2018年5月13日)
リスク回避偏重の社会 若者の自由が育たない
約35年前、私は理学部生物学科の人類学教室に進学した。ここは、ヒトという動物の進化について研究するところで、私の目的はアフリカで野生チンパンジーの研究をすることだった。しかし、いきなりアフリカに行くわけにもいかない。
まずは、学部3年の夏休みから野生ニホンザルの研究を始めた。調査地は房総半島の真ん中。廃屋になった農家を基地にして研究が始まった。水道はある、プロパンガスもある。が、状態は原始的そのもの。ここで経験を積んだ後、博士課程からアフリカで野生チンパンジーの調査にでかけた。
こちらは、タンザニアの首都ダルエスサラームから西に1000キロ入ったタンガニーカ湖畔。もちろん電気なし、ガスなし、水道なし。湖畔の小さな町からの交通手段は船外機をつけたボートしかない。周囲150キロ以内に病院もない。ここで通算2年半の調査を行った。
このような経歴なので、およそどんなことにも驚かない。しかし、困ったことに、後継者があまりいないようなのだ。私自身は現場を離れてもう何年にもなるが、今も研究している仲間たちに聞くと、日本人の後継者がいないらしい。私も、「よくそんなところへ行きましたね」「よく親御さんが許しましたね」と言われる。そう、うちの親御さんは娘をそういう調査地に出したのだ。もっとも、結婚していて、夫も同じ研究 をしていたが。
最近の若い人たちにとって、電気もガスもないようなアフリカの奥地で調査をするというのは、想像を絶することなのかもしれない。ましてや、親たちにとって。しかし、私の親も心配はしていたが、私自身、親に何と言われようと絶対に行くぞという決心をしていた。その他のことでも親とは何度も対立した。そのたびにこちらも、必死で自分の考えを述べて親を説得しようとした。そんな対立の中で育ってきたのだと思う。
今の若い人たちは、親に言われるとその通りに聞いてしまうようだが、彼ら自身、リスクを冒すことを非常に嫌う。我が国のリスク回避の傾向は、さまざまな統計で明らかだ。今どき、殴り合いのけんかをする若者などほとんどいない。人を殺す若者の10万人当たりの数は、戦後減少している。不慮の事故死も同様。自治体も学校も、子どもにけがをさせないように万全の注意を払っている。大学の野外実習も、昔と同じことはとても「危険」でできない。そして、電気、ガス、水道は当然あり、ネットも完備されている先進国への海外留学の希望者すらも減っている。
霊長類のみならず、野生動物の研究者の間で事故率が高いのは確かだ。知り合いの中には、がけから落ちた、ボートが転覆したなどで亡くなった人もいれば、ゲリラに誘拐された人もいる。私たちの世代は、こんな研究をする以上それは運命の一部と思っていたし、それで研究の情熱が冷めたことはない。しかし、今はそう聞いてその道に行こうと思う人は少ない。
子どもの数が少なくなり、子どもの死亡率が下がり、1人か2人の子どもを大事に育てるようになった。そこで、リスクなんかとても冒せない。日本が安全で、ある意味で居心地のよい社会になるにつれ、人々はリスク回避を極端に重要視するようになった。そして、子どもは絶対に安全に育ってほしいと願うし、そうであって当然と思うようになる。そうして、誰もはっきりと計画していたわけではないが、大いなるリスク回避の社会ができてしまったのだろう。
それは悪いことではないし、昔が良かったわけでもない。問題は、それによって、さまざまな本当の冒険の機会も失われてしまってはいないかということだ。肉体的には、ある程度の冒険をしなければ、どこまでが自分にも他人にも安全なのかは体得できないと思うのだ。それをせずに、肉体的安寧に慣れてしまった中で、知的な意味での冒険だけは可能なのだろうか?
リスク回避の傾向は、若者の自由な発想やイノベーション、人生の目標を多様に設定する自由をも阻害してはいないか? 安全確保は大事だが、いろいろな意味で前人未到の領域に踏み出そうという若者を育てるには、それを許し、背中を押す社会でなければならない。私たちは、果たしてそういう社会を作ってきたのだろうか。
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