2023.02.14
第63次南極地域観測隊(越冬隊)の隊員からメッセージが届きました⑥
明けましておめでとうございます。第63次南極地域観測隊に参加中の事務局職員の馬場です。
昭和基地では、間もなく(1月21日に)2カ月近く続いた白夜が終わり、2月1日には第64次隊と交代して昭和基地を離れ、帰国の途に就きます。今回は、昭和基地での夏期間の様子を振り返ってみたいと思います。
昨年11月1日、64次隊の先遣隊を載せた航空機が昭和基地沖の海氷上に整備した滑走路に着陸しました。63次越冬隊員以外の人の姿を見るのは、昨年2月8日にヘリコプターの最終便で南極観測船「しらせ」に戻る人員を見送って以来初めてです。とはいえ、新型コロナウイルス感染症予防のため、先遣隊との接触は制限されており、我々は先遣隊が飛行機から降りてきて橇に荷物を積み込むのを雪上車の中から遠巻きに見守りました。先遣隊は越冬隊が生活している基地中央部から離れた第2夏期隊員宿舎で隔離生活を送りながら出発準備を行いました。隔離が解除された1日経った11月10日、先遣隊10名と63次越冬隊6名の総勢16名が最古級のアイスコアの取得をめざす掘削場を建設するため、ドームふじ基地に向かって出発していきました。なお、ドーム旅行隊は、従来のドームふじ基地から数キロ離れた所に新たに定められたドームふじ観測拠点Ⅱでの掘削場建設作業を無事に完了し、昭和基地に向けて1月17日に帰途に就いたとのことです。
ドーム旅行隊が昭和基地を出発した後は、64次隊の本隊の受け入れに向けた本格除雪が始まりました。本格除雪とは、「しらせ」からヘリコプターによる空輸や雪上車による氷上輸送で昭和基地へ送り込まれた物資をトラック(装輪車)で所定の場所まで運び、クレーンやフォークリフト等を使って荷降ろしできるように基地内の幹線道路や集積場所の除雪を行うことです。しかし、ドーム旅行によって昭和基地に残された人員が減り、除雪に使用できる雪上車も限られたことに加え、11月中に5回、12月になっても再度ブリザードが襲来して、本格除雪は思うように進まず、64次隊本隊の到着までに終了するのか一時危ぶまれましたが、何とか間に合わせることが出来ました。私も日本出発前に資格を取得したミニバックホー等の重機を使って本格除雪の作業に参加しましたが、持ち帰り物資の集積作業に遅れが生じるなどの影響がありました。ブリザード統計情報を調べた気象隊員によると、11月に5回のブリザードが来るのは、第3次隊以来の歴代最多タイ記録だそうです。
また、本格除雪の合間を縫って、 11 月 2 日~ 3 日には昭和基地から 30km ほど離れた所にあるハムナ氷瀑で、 11 月 26 日にはオングル海峡の氷山で、学習用として学校等に配付したり、隊員のお土産として持ち帰る"南極の氷″を採取するアイスオペレーションを実施しました。ハムナ氷瀑でのアイスオペレーションは天候に恵まれ、雄大な景観を見ることができました。
前回のメッセージでお伝えしたラギョダマシの生態調査については、 10 月 31 日に 3 匹採取することに成功しました。採取したライギョダマシは基地に持ち帰って体長や重量を測定し、魚拓を取った後、冷凍庫に保管されました。3匹のうち 1 匹は解剖され、胃の内容物等を調べところ、胃からは大量の魚が出てきました。解剖したライギョダマシは調理隊員によって調理され、おいしく頂くことができました。
12 月 22 日には、 64 次隊の本隊を載せた「しらせ」の艦載ヘリコプターの第 1 便がヘリポートに到着し、手空き総員で出迎えました。第 1 便には 63 次隊の家族から託された荷物が載せられており、 64 次隊の伊村隊長と「しらせ」の波江野艦長から 63 次隊の澤柿越冬隊長へ初荷として手渡されました。
初荷のセレモニーが終わると、引き続き優先物資空輸が始まりました。私はヘリポートでの荷受けを担当し、 63 次越冬隊員がヘリコプターで運ばれて来る食料や観測物資をトラックに載せて基地内に配送していきます。ヘリポートでは引継ぎを兼ねて 64 次越冬隊の庶務隊員と一緒に荷受けを行いますが、昭和基地到着直後で寒さに慣れていない中、ヘリコプターが離着陸する度にダウンウオッシュにさらされるヘリポートでの作業は過酷だと改めて感じました。
2日間の優先空輸が終わると、 12 月 24 日に「しらせ」は移動して昭和基地の沖合約 260 mの定着氷に接岸し、翌 25 日の夜から大晦日と元旦の休みを挟んで氷上輸送が始まりました。雪上車がコンテナなどの大型物資を載せた橇を牽引して「しらせ」と基地側を往復する氷上輸送は、白夜で太陽が沈まないとはいえ、気温が下がり 、 海氷が最も安定する夜間に行われます。徹夜での荷受け・荷出し作業が続きますが、午前1時頃に「しらせ」から基地側で作業する観測隊員にも温かいラーメンなどの夜食が差し入れられ、ほっと一息つくことができました。
多忙な夏作業期間ですが、 12 月 29 日には、 64 次隊員も招いて餅つきを行い、鏡餅を作ったほか、門松を出して年越しの準備を行いました。また、大晦日には 19 広場の「昭和基地」の看板の前で空きドラム缶で作った除夜の鐘を突き、年越しそばを食べながら年明けを迎えました。昭和基地は日本とマイナス6時間の時差がありますが、年越しの様子は 64 次隊に同行しているテレビ局によって元旦の朝(日本時間)に生中継されました。私もテレビに映りこんでいたようで、昭和基地で迎える最初で最後の年越しの様子をテレビ中継で友人・知人にも見てもらえて良い記念となりました。
氷上輸送が終了すると、ヘリコプターが発着艦しやすいように 1 月 5 日に「しらせ」は接岸地点から方向転換し、 1 月 6 日から一般物資空輸が行われました。 1 月 13 日、日本から「しらせ」に積まれて運ばれてきた物資の全量が昭和基地へ送り込まれ、一般物資空輸が完了しました。これにより、 64 次越冬隊が 63 次越冬隊と交代して昭和基地で 1 年間の越冬を開始する条件が整ったことになります。
持ち帰り物資の空輸が完了した 1 月 17 日には、袋浦へのフライトに搭乗させてもらい、 15 分足らずの滞在でしたが、アデリーペンギンのルッカリー(営巣地)で孵化したペンギンや石を集めて巣作りをする様子を見ることができました。
1 月下旬には、 64 次隊への引継ぎを兼ねた計画停電や消火訓練、水槽清掃、 64 次同行教員による南極授業などのイベントがまだまだ続きます。 2 月 1 日に昭和基地を離れて「しらせ」に乗船しても、復路の航海ではトッテン氷河沖での海洋観測などを行うため、オーストラリアのフリーマントルに寄港して、オーストラリアから空路日本に帰国するまで約 50 日かかる予定です。
次回(最終回)は、 2 月 1 日の越冬交代式や海洋観測の模様などをお伝えできればと思います。
掲載協力:国立極地研究所