2022.04.28

遺伝子の運動を支配する物理法則〜細胞内の染色体の動きを表す数式を発見〜

プレスリリース

遺伝学コース

Formulation of chromatin mobility as a function of nuclear size during C. elegans embryogenesis using polymer physics theories.

掲載誌: 発行年: 2022

DOI: 10.1103/PhysRevLett.128.178101

https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.128.178101

【概 要】‍

生命現象は多段階の複雑な反応で、それらを単純な数式で表すのは難しいように思われます。一方で、科学者は共通の単純な数式で一見全く違う自然現象を表せることを発見してきました。例えば、高分子物理学(1)の世界では、ゴムやナイロン繊維のように異なる材料でできたものでも「ひも状」という共通点があれば、その性質を似たような数式で表せることを明らかにしてきたのです。

このたび、情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所の木村暁教授、Yesbolatova, Aiyaさん(総合研究大学院大学大学院生)、荒井律子研究員(現・福島県立医科大学)、青山学院大学の坂上貴洋教授からなる研究グループは、細胞内での「染色体(2)の挙動」という複雑な生命現象を高分子物理学の理論に基づいた数式で表すことに成功しました。注目すべき点として、染色体はDNAに加えて様々なタンパク質やRNAなどからなる複雑な構造体であるにもかかわらず、その運動はゴムをはじめとする「ひも状」の分子の運動と同様の単純な数式で表せることがわかりました。この研究成果により生命現象の物理学的理解を前進させることが期待できます。

本研究は科学研究費・新学術領域研究(研究領域提案型)「遺伝子制御の基盤となるクロマチンポテンシャル」(平成30年度~令和4年度)の計画研究として、物理学者と生物学者の分野を超えた密接な共同研究によって遂行されました。

成果掲載誌

本研究成果は米国科学雑誌「Physical Review Letters」に2022年4月27日(日本時間)に掲載されます。

  • 論文タイトル
    Formulation of chromatin mobility as a function of nuclear size during C. elegans embryogenesis using polymer physics theories.
    (線虫胚発生における核サイズに依存したクロマチンの動きについて高分子物理学理論を用いた定式化)
  • DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.128.178101
  • 著者
    Aiya K. Yesbolatova, Ritsuko Arai, *Takahiro Sakaue, and *Akatsuki Kimura.
    *Corresponding authors
    (イエスボラトヴァ K. アイヤ、荒井律子、坂上貴洋、木村暁)

【研究の背景】

細胞内では細胞内小器官やタンパク質などが激しく動いています。遺伝情報を担う染色体も例外ではなく、染色体の激しい動きによって、遺伝子同士で同じ配列を持つ部分が出会うことに貢献するほか、染色体の激しい動きは遺伝子の読み出し反応と相関があることがわかっています(国立遺伝学研究所・前島教授ら [1])。国立遺伝学研究所の木村暁教授のグループは、モデル動物の線虫の初期胚発生において、2細胞期、4細胞期、と細胞分裂が進むにつれて、染色体の動きが顕著に低下することを見出しました[2]。細胞分裂が進んで、細胞が小さくなるにしたがい、染色体を収納している細胞核のサイズも小さくなることにより、核内の染色体密度が上昇して、あたかも満員電車で身動きが取れないように、染色体の動きが低下するのではないかと考えたのです。しかしながら、本当に染色体の密度上昇の効果で染色体の動きが低下するかを検討するには、核内の染色体密度と染色体の動きを関係づける理論的枠組みが必要なのですが、そのような理論的枠組みはありませんでした。

【本研究の成果】

国立遺伝学研究所・木村教授らは、まず細胞核の大きさが染色体の動きに影響するかをモデル生物の線虫(C. elegans)を用いた生物実験で調べました(図A)。その結果、細胞核のサイズを遺伝子操作によって大きくしたり小さくしたりすると、細胞核のサイズに応じて染色体の動きが増加したり減少したりすることを見出したのです(図B)。

一方で、青山学院大学・坂上教授は、高分子物理学の理論に基づいて細胞核内の染色体密度と染色体の動きを関係づける理論的枠組みを開発しました。実際の線虫の細胞核内の染色体密度を見積もると、満員電車のように身動きが取れない状況ではないと考えられました。一方で、染色体は長い「ひも状」の構造体なので、電車に例えるなら、乗客同士がひもで結ばれたような状態になっているために、近距離では比較的自由に動けるのに対して、長い距離を動くのは容易ではないと考えられたのです。高分子物理学において、この「自由に動ける距離」を規定するのが「網目サイズ(mesh size)」「チューブ径(tube diameter)」(3)と呼ばれる数値なのです。坂上教授が開発した理論を使って、実際の細胞における網目サイズを見積もり、その理論値を用いて実験データを規格化してみると、異なる大きさの核で取得したデータが普遍的な関係性を示す(グラフ上、一本の線に収斂する)ことを見出しました(図C)。この線に対応する数式が、染色体の動きを理論的に表す数式になります(図D)。生きた細胞内での染色体の動きを高分子物理学の理論で説明できることが示されたのです。この数式は染色体にとどまらず、ゴムなど様々な高分子の動きに適用できる普遍的な数式であると期待されます。

図:高分子物理学を用いた細胞内での染色体の動きの定式化

(A) 線虫C. elegans初期胚における細胞核内の染色体上の特定の遺伝子座を標識し、その動きを顕微鏡観察で追跡した。(B) 染色体の動きは、追跡結果からMSCD (Mean square change in distance、距離変化の二乗平均)という指標を産出して行った。半径(rad, R)が大きいほど、動き(MSCD)が大きいことがわかった。(C) 高分子物理学の理論に基づいて定量した結果を分析すると、様々な核で測定した結果が1本の線に収斂することを発見した。このことは高分子物理学の理論で細胞内の染色体の動きを表せることを意味する。この解析のために、我々はMSCDを、より汎用性の高い動きの指標であるMSD(mean square displacement、平均二乗変位)に変換する方法も開発した。(D) 収斂した線を表す方程式を得ることによって、染色体の動き(MSD)を時間τと核の半径Rの関数として定式化することに成功した。

【今後の期待】

本研究では、複雑に思われる細胞内での染色体の動きが、高分子物理学の理論に基づいた単純な数式で説明できることを明らかにし、生き物を理論的に理解する上での大きな一歩となります。一方で、この数式は、今のところ、線虫の初期発生胚にしか適用していません。今後、他の発生時期や、他の生物種に適用して理論を発展させたいと考えています。不健康な細胞の染色体の動きはこの数式から大きく外れる、というようなこともあるかもしれません。この数式が細胞の状態を判定する指標となる、といったようなことも可能かもしれません。

【用語解説】

(1) 高分子物理学

小さい分子が連結されてできる大きな分子の挙動を扱う物理学の一分野。ゴムやナイロン、DNAやタンパク質など、大きさや性質が大きく異なっても、ひも・鎖状の構造をとっているという共通性に着目し、その共通する性質を明らかにする学問分野。

(2) 染色体

遺伝情報はDNAという直鎖状の分子(DNA自体も高分子と言える)に塩基配列として書き込まれている。細胞内では、このDNAがタンパク質やRNAなどと会合してより複雑な構造体として存在しており、それを染色体と呼ぶ。染色体自体も、(DNAより太い)ひも状の分子であり、高分子物理学の理論が適用されると考えられている。

(3) 網目サイズ、チューブ径

高分子物理学において重要な長さスケール。多数の高分子鎖が存在する状況下において、それらの高分子鎖がどの程度密に重なり合い、絡み合っているかを特徴づける数字である。網目サイズより短いスケールであれば、他の高分子鎖との接触はほとんどなく、高分子は自由に運動することができる。一方、チューブ径より大きなスケールでは、周りの高分子鎖との絡み合い効果が支配的となり、高分子はあたかも仮想的なチューブの中でしか動けないような挙動を示す。一般に、チューブ径は網目サイズよりも大きくなる。

※網目サイズとチューブ径の模式図染色体などの高分子鎖の一部(左パネル、オレンジ丸)の動きに着目する。網目サイズ(中パネル、グレーの点線)より小さな動きは比較的自由にできるが、網目サイズを超えると他の高分子鎖との相互作用が無視できなくなり、運動が妨げられる。さらに大きなスケールでは、周りの高分子が障害物(右パネル、グレーの丸)となり動きがさらに抑制される。障害物間の平均的な距離をチューブ径とよび、絡み合い効果を特徴付ける重要な長さスケールとなる。

【研究体制と支援】

本研究は、科学研究費・新学術領域研究(研究領域提案型)「遺伝子制御の基盤となるクロマチンポテンシャル」(平成30年度~令和4年度)[3]の中の計画研究課題「物理計測と理論モデル構築によるクロマチンポテンシャルの理解」の一環として、国立遺伝学研究所・木村暁教授(研究課題研究代表者)と青山学院大学・坂上貴洋教授(研究課題研究分担者)の共同研究で行われました。国立遺伝学研究所・総合研究大学院大学の大学院生Yesbolatova, Aiyaさんと、国立遺伝学研究所の研究員・荒井律子さん(現・福島県立医科大学)が研究に参画しました。

【問い合わせ先】

<研究に関すること>

  • 国立遺伝学研究所 細胞建築研究室
    教授 木村 暁
  • 青山学院大学 理工学部物理科学科
    教授 坂上 貴洋

<報道担当>

国立遺伝学研究所 リサーチ・アドミニストレーター室 広報チーム
総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
TEL: 046-858-1584 メール: [email protected]

※時節柄、Zoom会議での取材にも対応できますので、Zoom会議をご希望の場合には、その旨お知らせください。

PAGE TOP