2023.03.27
2022年度春季学位記授与式 学長式辞
2023年3月24日、2022年度春季学位記授与式が行われ、課程博士57名、論文博士2名に学位記が授与されました。 修了生のみなさんの今後の更なるご活躍を祈念いたします。
2022年度春季学位記授与式 学長式辞
みなさま、本日は学位を取得されて本学を卒業されること、まことにおめでとうございます。学位のための研究は、わくわくする楽しいものであると同時に、いろいろなご苦労もあったことと思います。とくに、新型コロナのパンデミックが起こり、世界中で日常生活のあり方が激変してから、もう3年になります。みなさんが博士号のための研究をされていた間のほとんどが、こんな"with corona"の状況だったのではないでしょうか? 研究室に来られなくなる、図書館が使えなくなる、野外調査に出られなくなる、あるいは調査地から帰ってこられなくなるなど、たくさんのご苦労があったことと推察いたします。それらすべてを乗り越えて本日を迎えられましたこと、心よりお喜び申し上げます。また、指導教員はじめ研究指導にかかわられた先生方、そしてご家族のみなさまにも、お喜び申し上げるとともに、これまで院生諸君を支えてくださったことに対し、深く感謝いたしたいと存じます。
さて、本日学位を取得されたみなさんは、これからどのような道を進まれるのでしょうか? これまでの統計によれば、まずは任期付きのポスドクとして研究を続けられる人が、一番多いようです。それは日本国内もありますし、海外もあるでしょう。また、大学や研究所ではなく、企業その他で職につかれる方々もいるでしょう。まだはっきりとは決まっていない方もいるでしょう。しかし、どんな道に進まれるにせよ、本学で学位研究をすることによって磨いた能力を、これからの人生で最大限に発揮していってください。
本学は、世界でも一流の研究を行っている国立の研究所を研究現場にし、次世代の研究者を育てることを目的に作られた大学院大学です。ですから、入学してくる学生たちの多くは、研究者になることを目指しています。しかし、ある研究分野で学位を取得したからと言って、研究者になるだけが成功の道ではありません。学位研究を通して磨いた能力は、その研究分野の中で、ある一つの研究結果を出したことだけに限定されるものではないからです。
ある研究分野の中の、いわば狭い一つの成果を離れて、もっと広い視野のもとで見たとき、みなさんは、学位研究を始める前と比べて、どんな能力を磨いたでしょうか? ある分野について、先行研究がどんなものだったのかを概観してまとめる能力、どこにどんな、まだ誰も気づいていない可能性があるのかを見つける、問題発見の能力、新たな可能性を追求してみるには、どんな手法があり得るかを考える創造力、研究がうまくいった場合には、どんな新しい展望が開けてくるのかを見通す想像力、そして、考えの全体を一連の論文として書き上げる、論理的な意味での表現力、粘り強く努力を続ける忍耐力、などなど、創造性とは、こんな能力がもろもろに合わさったものなのではないでしょうか? それらは、もっと抽象化して、どんな事にも汎用することができるものであるはずです。そして、これらの能力を発揮できる場所は、大学などでの研究者という立場だけには限らないはずです。
また、研究者になる場合でも、学位を取得できたからと言って、すぐに一流の研究者になれるものではありません。学位研究を遂行する間に磨いたはずの、先ほどあげたような、いくつもの能力を本当に十分に発揮していかなければ、この先、一流の研究者になるのは難しいでしょう。そして、何よりも、研究者とは、研究が楽しくて仕方がない人たちなのです。思い返せば、私と夫は、修士の2年のときに結婚したのですが、晩御飯の支度をしながら、キュウリを刻んでいる時も、お鍋を煮ている時も、研究の話をしていました。私たち二人が所属していたのは異なる研究科でしたが、互いに同じようなことを別の角度から考えていたので、研究の話をするのが楽しくて仕方がなかったものです。
最近では、ワーク・ライフ・バランスの観点から、うちに帰ったあとは研究の話はしない、ということにしているという若い人たちがいるそうです。私としては、少しがっかりですが、時代は変わったのですね。だとしても、研究するのが一番楽しいという感覚は、今でも同じなのではないかと思います。それはさておき、みなさんには、特定の研究テーマを離れ、博士号取得のための研究を通じて磨いた一般的な能力を自覚して、これからの道を歩んでいただきたいと望んでいます。
日本ではこれまで、学者の世界とその他の世界とが、かなり分断されてきたのだと思います。世間一般は、学者とはどんな気質(temperament)の人たちで、どんなことに専念しているのかということに、それほど興味を持ってきませんでした。一方、学者たちは社会一般がどのようにして動いているのかをよく知らず、自分たちが好きなように研究できる環境を謳歌してきました。そこで、学者側からみれば、一般の人々にもっと「科学リテラシー」を身に付けて欲しいと思うのですが、その一方で、学者たちにはもっと「社会リテラシー」を身に付けてもらわねばならないのではないか、という認識もあります。本学の先導科学研究科で行っていた「科学と社会」というカリキュラムは、そんな双方向の理解創出をめざしたものでした。みなさんには、科学リテラシーはもちろんのこと、社会リテラシーも、身に付けておいて欲しいと思います。
さきほど、学者たちの「気質」と言いましたが、何かがうまくできるかどうかという「能力」と、そういうことをするのに向いているかどうかという「気質」とは、別のものです。これまでの研究によると、気質には、かなり持って生まれた要素が強いようです。ところが、若いころには、自分が頭で考えたり、周囲から期待されたりということに影響され、持って生まれた気質とはかなり異なる方向に向かうことも多いようです。しかし、やはり気質の影響は強いので、やがて、年を経るごとに本来の気質が生活の多くの面を支配するようになるそうです。
みなさんも、自分が本当に何に向いているのか、何を一番楽しいと思うのか、改めて自分の気質にもう一度目を向けてみてください。そうすると、学者の道だけが自分のめざすところではないという認識に達するかもしれませんし、学者こそ我が道だということになるかもしれません。本当の幸せは、気質と能力が一致した職につくことなのでしょう。私も学者ですので、若いみなさんが一人でも多く、次世代の研究を支える人材として活躍していただきたいと望んでいます。それでも、博士号取得のための研究で磨いた能力を発揮する道は、学者としての成功というだけに狭くとらえる必要はない、ということをお伝えしたいと思います。
さて、私の本学の学長としての任期も、この3月末で終了します。私も、本学を卒業することになります。私は、2017年から2期、6年間にわたって学長を務めました。私が学長になってから採用した本学の運営の基本方針は、学生の支援を一番の重点に置くというものでした。本学の専攻は、基盤機関である各研究所に置かれています。研究所は研究をする場所で、そのための予算も装置も人員も充実しています。そこで博士号のための研究をする院生を受け入れているのが本学なのですから、本学の役目は、学生たちの支援を行うことが第一だと考えたからです。
日本では、長らく、大学院に進学して博士号取得のための研究をしようとする院生に対し、とくに金銭的な援助をしてきませんでした。院生たちを、次世代を担う大切な研究者の卵ではなく、大学卒業後すぐに就職することなく、単に趣味で研究を続けることを選んだ人たちだとみなしてきたのかもしれません。しかし、欧米では、次世代を担う研究者に対する奨学金や給与の制度が充実しており、その点で、日本の大学院は、欧米の大学院に比べて魅力が劣るのは事実です。私は、この状況を変えねばならないと思ってきました。最近になってやっと、本学で、少しは状況を改善することができたかなと思っています(もちろん、まだ十分ではありませんが)。
また、ハラスメントやメンタルヘルスの問題についても十分に注意し、みなさんが快適に研究に専念できるような環境を整備しようとしてきたつもりです。本学の本部は葉山にあり、各専攻は日本のさまざまな場所に分散しているので、研究現場の現実を把握することが困難です。まだまだみなさんにとって、本当に快適な環境にはなっていないかもしれませんので、次期の執行部に、引き続き環境改善の努力を続けていただきたいと思います。
コロナのパンデミックがなぜ起こったのかの原因も含め、気候変動や温暖化、環境破壊、生物の絶滅など、今の世界が示しているさまざまな兆候は、これまでの20世紀的な発展の文明を転換せねばならないことを示唆する証拠に満ちています。20世紀は科学技術の発展によって、太陽生産と大量消費を軸に、人々の生活レベルが劇的に上昇した時代でした。
そして、世界の人口が急激に増加するとともに、すべての人々の生活レベルが向上したため、人類全体でのエネルギー消費が急増し、原生林が破壊され、人工物が増え、地球全体の元素の循環が乱されています。この状態をこれからもずっと続けていくことは不可能です。そこで、「持続可能な社会」に転換せねばならないと言われるようになりました。物を大量に所有することを発展と考える目標から、そうではなくて幸せになる目標(affluence without abundance)へと転換せねばなりません。それはそうなのですが、どのようにすればそれが実現できるのか、そのやり方は誰にもわからないのが現状です。
一方、インターネットを始めとする新しい情報技術は、「物」と「場所」という制限の一部を取り払い、これまでは不可能であったことを可能にしました。これまでは、人々が本当に移動して一ヶ所に集まらなければ会議はできなかったのですが、今では、オンラインの会議が日常的に行われています。これまでは、実際に店に行かなければ物を買うことはできませんでしたが、今では、スクリーンでさまざまな商品を見て、ボタン一つで購入することができます。これまでは、人々が知りあいになれる範囲は、その人の活動の範囲に限られていましたが、今では、インターネットによって、潜在的に、誰もが誰とでもつながることができます。汎用AIとロボットが、どのように活躍するようになるのか、IoTがどのように社会を変えるのか、まだわかりませんが、これらの技術によって社会が変わることは確実でしょう。
この2つの潮流を合わせると、これからの世界は、これまでとはかなり異なる価値観とシステムで動いていくのだろうと思います。それがどんなものなのか、まだ私たちにはわかっていません。それを築いていくのがみなさんです。人々の価値観、世界観の基礎は、おもに若いときの経験によって作られ、年を取ってからそれを変えるのはかなり困難なようです。私を含めてシニアの世代は、古い世界で育ってきましたから、新しい技術をどのように駆使して持続可能な世界を作っていけるのか、本当に革新的なアイデアを出すことは難しいように思います。変わりつつある新しい世界で育っている若い人たちこそが、そんなアイデアを出せるのだと思います。
これからみなさんがどんな人生を歩んでいくにせよ、世界のどこに住むにせよ、本学で学んだことをもとに、柔軟な考え方で、他者とよく議論を重ね、想像力を働かせ、新しい世界を築いていってください。
本日は、本当におめでとうございます。
2023年3月24日
総合研究大学院大学 学長
長谷川眞理子