2022.03.25
2021年度春季学位記授与式 学長式辞【2022年3月24日】
2021年度春季学位記授与式 学長式辞
Nullius in verba
みなさん、本日は晴れて博士の学位を取得され、ご卒業の運びとなりましたこと、本当におめでとうございます。新型コロナウイルス感染症の拡大により、世の中の活動の様子がすっかり変わってしまいました。これでもう2年以上もこんな状態が続いています。普通のときであっても、学位論文を仕上げて審査に合格することは、とても大変なことです。ましてや、こんな事態が続く中、実験や観察を続けていくのにも、最後の論文を仕上げることにも、みなさんには多くの困難があったと推測します。それらを乗り越え、今日、こうして学位記授与式を迎えられましたこと、心よりお喜びを申し上げるとともに、みなさまのこれまでのご努力に敬意を表したいと思います。
このウイルスの感染状況が今後どうなるのか、まだ予測がつきません。ウイルスの進化の研究から見れば、新たな株が出てくるのは当然のことですから、オミクロン株では収まらず、この先も新たなものが出現してくるでしょう。こんな時代に育った人々は、乳幼児から若い成人まで、それぞれの年齢ごとに、後世にまで残るなんらかのトラウマを持つことになるのではないかと心配します。それと同時に、若い人たちの順能力が非常に高いことを知っていますので、私は希望も持っています。
さて、昨今の世界の危機は、コロナウイルスだけではありません。地球環境問題もまったなしの大きな危機ですし、局地的な紛争と、より大規模な戦争の可能性もあります。世界の経済がどのように動いていくのかも、私たちがこれまで普遍的な価値と考えてきた「個人の人権」や「民主主義的な手法」が、これまで通りに尊重されていくのかどうかも、はっきりとはわかりません。私が皆さんと同じくらいの年齢で若かったころ、時代とともに世界は必ずやよくなっていくだろうという確信を持っていました。今は、そんな確信は持てなくなってきたようにも思います。
そんな時代に、みなさんは博士号を取得して、これから社会に出ていきます。こんな時代だからこそ、私は、みなさんに、知的な探求とは何かを知っている人間として、さまざまな現象や未知の事態をどのように分析し、何を判断のよりどころとして考えるのか、人々のお手本となって行動していただきたいと思います。
みなさんは、ある一つの学問分野の、ある一つの疑問に立ち向かい、一つの研究結果を得ました。それは、たとえ小さなことであっても、これまで誰も知らなかった新たな発見であり、また、これまでに誰も考えたことのない切り口からの考察であったでしょう。学位論文で取り組んだことは、ある一つの問題に過ぎないかもしれません。しかし、その問題に立ち向かうために自分が採用した方法、設問の立て方、疑問を一つ一つ解決していく手法などは、他の、もしかしたらまったく異なる問題に対しても、応用できることです。知識という意味では、みなさんは、ある一つの学問分野の知識を深めたのでしょうが、知的な探求の方法という意味では、もっと普遍的なアートを身に付けたのだと思います。それを自覚し、今後の生活の中で生かしていってください。
私は最近、私がこれまでの学者としての生活の中で、一番印象に残っている言葉を一つ挙げてくださいという取材を受けました。考えたところ、それは、「Nullius in verba」という言葉だと思います。この言葉について、ここで少しお話しましょう。これはラテン語で、「人がしゃべっていることをそのまま信じるな」という意味です。英国では1660年に、民間の科学者の集まりである王立協会が設立されましたが、そのモットーとして採用されたのがこの言葉です。
他人の言うことをそのままでは信じないというのは、疑い深くて、よくない性格のようにも聞こえます。しかし、他人の言うことの中には、流言飛語もあれば迷信もあり、誹謗中傷も、意図的なデマもあります。この言葉は、それらのものに決して迎合しない、そして、何らかの「権威」というものが言っているからといって、それをそのままに信じることはしないという、当時の科学者たちの決意の表明です。1660年と言えば、17世紀のまっただ中、近代科学がまさに生まれた時代です。近代科学は、自然界の成り立ちを知るために、実験と観察による仮説の検証を手法として確立しました。現在の科学は、そこから出発してさらに洗練された手段をたくさん持っていますが、それでも、私たちはその近代科学の思考の伝統を受け継いでいるのです。
昨今、さまざまなソーシャルメディアの発展があり、多くの人々がさまざまな情報を発信できるようになりました。それはそれで、これまでにできなかった人々のつながりを作るなど、有益な面もたくさんあります。しかし、それらの情報の信憑性には大いに問題があります。Nullius in verbaは、科学的な問題だけでなく、世間に流布している情報一般に対しても当てはまることでしょう。以前は、まがりなりにも大手メディアが、ある種の検証をした上で流していた情報だけが広く流布していたので、ここまで個人が情報の信憑性に関して敏感になる必要はなかったのだと思います。それでも、大手メディアがどういうつもりでそんな情報を流しているのか、見極める力をつけねばならないということで、メディア・リテラシー教育の必要性が言われていたものです。
しかし、今やそんなことではすまなくなりました。インフォーメーションとディスインフォーメーション、プロパガンダと「いいね」のラッシュと炎上の時代。このなんでもありの中で、どのように状況を分析するのか、一人一人のレベルアップが不可欠な時代になったようです。ところが、とても現状はそれに追いついていません。みなさんは、ある問題について熟知し、熟考し、あらゆる角度から問題を検討したという経験をしました。その経験をもとに、それをもっと一般化して、これから先の時代を乗り切っていく指針を示していただきたいと思います。
Nullius in verbaはラテン語です。みなさんはラテン語を習ってはいないと思うのですが、この言葉は、かつてのヨーロッパでは、学問をする人々の間の共通語でした。12、13世紀にかけて、ヨーロッパで大学という組織が初めて作られたころ、それはどんな国の出身の人たちも集まる国際的な組織でした。そこでの共通語はラテン語だったのです。今でも、欧米の中等・高等教育の中には、ラテン語は入っています。 今日、みなさんがラテン語を習う必要はないと思いますが、学問の世界に国境はないという意味は、何らかの共通語でみんなが意志疎通をせねばならないということです。今はそれが英語なのでしょう。学問は、ある特定の人々のためにあるのではなく、世界中のどんな人々にも開かれています。と言うことは、どんな人々とも議論できなくてはいけないのです。 みなさんは、それぞれ、日本人だろうがどこか他の国の人だろうが、その国の言語で育ち、その国の文化を背負ってきました。そのことはとても大切なことであり、大事にせねばならないことです。しかしながら、それと同時に、自分の知っていること、考えていること、感じていることを、他の世界の人々に伝えることができねばならず、相手の考えや感じ方も理解できなくてはいけません。自分の文化と言語を大切にし、その価値を理解した上で、それを、異なる言語と文化の人々にどのように伝えていけるのか、言語や文化の異なる相手の考えをどのように理解できるのか、みなさんはこれから悩むと思いますが、是非、そのようなことを考えることのできる人間になってください。
今日は、コロナのせいでみなさんが葉山に集まることができず、本当に残念に思います。総合研究大学院大学は、キャンパスのある研究所が日本の各地に分散していますから、せめて学位記授与式のときぐらい、みんなで葉山に集まってお祝いしたいと思っています。また、個人的なことながら、私は、自分自身が博士号を取得したとき、たいしたお祝いがなかったので、こんな苦労をして博士号を取得されたみなさんには、盛大なお祝いをしてあげたいと心底望んでいます。
今回もそういうわけにはいきませんでしたが、みなさんに対し、私の心からのお祝いをお届けしたいと思います。みなさん、本当におめでとうございます。今後のご活躍をお祈りいたします。
2022年3月24日
総合研究大学院大学 学長
長谷川眞理子