2022.02.08

【プレスリリース】アゲハチョウの脳にある多彩な"色"感受性神経

アゲハチョウの脳にある多彩な"色"感受性神経

木下充代 1 , Finlay J Stewart 1
1 総合研究大学院大学

【研究概要】

花を訪れて蜜を吸うアゲハチョウは、ヒトよりも色を細かく見分けられるほど鋭い色覚を持つ。色覚をもつ昆虫は他にも多くいるが、これまで脳のどこに色覚の中枢があるのかわかっていなかった。そこで本研究では、色覚の中枢を探すことを目的に、アゲハチョウの大脳にありその形からキノコ体と呼ばれる領域にある神経群から光の波長(紫外光〜赤色光)への応答を記録して、その形を明らかにした。記録できた24個の神経いずれも視覚中枢で入力を受けてキノコ体に入力しており、ごく限られた色光に興奮性、別の色光に抑制性の応答を示した。これらの応答は多様で、複眼にある6種類の視細胞よりむしろサルの脳神経が示す色光に対する多様な色光への応答特性とよく似ていた。キノコ体が学習記憶の中枢であること、アゲハチョウがよく色を学習し見分けることを考えると、キノコ体への視覚入力神経はアゲハチョウが見ている"色"を表現する色覚の最高次にあたるに違いない。アゲハチョウの小さな脳に、サルの脳にある色覚中枢に匹敵する神経群を示した本研究の成果は非常に興味深い。

【研究の背景】

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図1.吸蜜中のナミアゲハ

ヒトをはじめ、多くの動物が色覚を持つ。特にハナバチやチョウ類などの花を訪れる昆虫は、花の色を学習識別し優れた色覚を持つ種が多い。そのため彼らの視覚系は、古くから多く研究者の興味を引いてきた。色覚の研究はミツバチに始まったが 1 、最近はチョウ類を対象とした知見も増えつつある。一方色覚に関わる神経系の仕組みは、近年になりその重要性が認識され、ショウジョウバエの視覚中枢での波長情報処理が精力的に研究されている 2

ナミアゲハ (Papilio xuthus,以後アゲハ)は、ミツバチと並ぶ色覚研究のモデル種のひとつである。アゲハは、ヒトと同様わずか1nm (1mmの1,000,000分の1)の差を違う色として見分けられる 3 4 。特に、紫外線(400nmより短波長の光)から赤色(600 nmより長波長の光)まで広い波長域の光を色として見ており、3つの波長域で鋭い波長弁別能を示す点でヒトの色覚より優れている(図2)。つまりアゲハには、ヒトよりもはるかに多くの色が見えていることになる。

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図2.ナミアゲハ・ミツバチ・ヒトの波長弁別能.アゲハには紫外から赤まで色が見えるだけでなく、3波長(紫・青・黄色の矢印)で1nmの波長差を違う色として見分けることができる。
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図3.アゲハの脳構成A.脳の正面写真。脳はリボンのような形をしている。二つの羽に当たる部分が視覚中枢、真ん中が統合領域である大脳に当たる。 B.MB 視覚神経群(左半球)の模式図(脳の左半分)。視覚中枢から3種類の神経束(赤・黄色・オレンジ)が大脳にあるキノコ体に入力する。CA: キノコ体傘部,ME:視髄,LA: 視葉板,LO: 視小葉,Lvo: 視小葉腹側球

昆虫の脳では、網膜で受け取られた光情報は視覚中枢で処理され、大脳で他の感覚と統合される(図3A)。我々は以前、視覚中枢から大脳にあるキノコ体に入る3つの神経束を見つけた(Mushroom Body視覚神経 以後MB視覚神経、図3B) 5 。このキノコ体への視覚入力は、ハナバチやアリの仲間に見られる特徴で、視覚情報の学習経路と考えられている 6 。アゲハも色をよく学習するので、我々はアゲハのMB視覚神経には"色"情報が含まれているという仮説を立てた。

【研究の内容】

本研究では、ヒトを凌駕するアゲハの豊かな色世界は脳のどこで作られるのかを明らかにするため、ひとつのMB視覚神経にガラス微小電極を刺して、細胞の電位変化を測定する細胞内記録法を用いて波長応答特性を記録し、記録後電極に詰めておいた色素を細胞内に注入して神経の形態を明らかにした。

記録できたほとんどのMB視覚神経は、光が当たっていない時比較的低い頻度で活動電位(短い時間で起こるスパイク状の電位変化)を発生していた。300-740 nmまで23種類の色光のフラッシュ光 (750 msec)を当てて行くと、MB視覚神経はあるごく狭い波長域の単色光に対しては興奮性応答、別の広い波長域の光には抑制性応答を示した。このような応答は反対色性といい、色情報処理に関わる神経の重要な特性の一つとされている。図4Aは、MB視覚神経の典型的な応答例である。この神経の場合、420nmにのみ興奮性(図4A黒矢印)、440-500 nmの色光に対しては抑制性(図4A白矢印)の応答を示した。このような応答は、網膜にあるいずれも視細胞の波長応答特性とも違う。ミツバチやショウジョウバエで見つかっている視細胞の特徴で説明できる反対色性神経とも違っていた。このことから、アゲハのMB視覚神経は、より情報処理が進んだものであることがわかる。今回記録した神経のほとんどが、図4Bの視小葉腹側球から入力し、キノコ体傘部で出力するタイプだった。

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図4アゲハのMB視覚神経 A.波長応答特性(300-740nm, 23色光)420nmに興奮性(黒矢印)、広い範囲で抑制性(白矢印)の応答の反対色性応答を示す。上は実際に記録した神経応答と光刺激、下は記録を分光反応曲線に書き換えたもの。B視小葉腹側球に入力を持つMB視覚神経の形態。CA: キノコ体傘部 LO: 視小葉,Lvo: 視小葉腹側球

アゲハのMB視覚神経群のもうひとつの重要な特性は、その波長応答特性の多様性にある。図5は、19個の視小葉腹側球入力のMB視覚神経群の波長応答特性を、ヒートマップ(興奮性応答:暖色、抑制性応答:寒色)で表し、最大の興奮性応答が紫外にあるものから順に並べたものだ。これを見ると、MB視覚神経の波長応答特性が多様であることがよくわかる。このような波長応答特性の多様性は、その動物が見わけられる様々な"色"を示しているとされ、サルの大脳皮質の神経で最初に見つかった。昆虫の脳ではキノコ体は、記憶学習の中枢であり異なる感覚情報が入るので、それぞれの感覚情報処理の最高次に当たるはずである。以上から、MB視覚神経にある波長応答特性の多様性は、アゲハのヒトを凌駕する色弁別能に対応すると考えている。

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図5MB視覚神経(視小葉腹側球―Lvo入力)の多様な波長応答特性

【今後の展望】

我々が見ている世界は、目から入った光情報が脳の高次で再構築された主観的なものである。サルの高次脳領域の神経応答は、より彼らの知覚しているものに近くなることが知られている7。今回の研究結果は、アゲハのMB視覚神経群が視覚情報処理の最高次にある可能性を強く支持している。これが本当であれば、これらの神経はさまざまな光環境下でも物体の色が同じに見える「色恒常性」や、背景の色によって物体の色が異なって見える「色対比」といったより複雑な色覚現象にも関係するに違いないだろう。神経系での視覚情報の表現が詳しくわかっていけば、将来アゲハの見ている世界をより正確に疑似体験できるバーチャルリアリティーが作れるかもしれない。

【著者】

  • 木下充代(総合研究大学院大学・先導科学研究科・准教授)
  • Finlay J Stewart(総合研究大学院大学・先導科学研究科・元助教)

論文情報

お問い合せ先

  • 研究内容に関すること
    木下充代(総合研究大学院大学・先導科学研究科・准教授)
    電子メール:kinoshita_michiyo(at)soken.ac.jp
  • 報道担当
    国立大学法人 総合研究大学院大学
    総合企画課 広報社会連携係
    電話: 046-858-1629
    電子メール: kouhou1(at)ml.soken.ac.jp

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