2020.01.31

【プレスリリース】旅をするチョウの眼

【研究概要】

アサギマダラは、⽇本と東南アジアの間を、海を越えて渡りをするチョウです。多くの市⺠が参加した⼤規模な調査の結果、最⻑ 2500km もの⻑旅が確認されています。アサギマダラはときに花の蜜を吸いながら渡りをするので、おそらく視覚が重要と考えられてはいますが、視覚を含む神経メカニズムはほとんど調べられていません。

私たちはこのメカニズムの研究を始め、今回は視覚器である複眼にあって光の信号をキャッチする細胞(視細胞)の構造と性質を詳しく調べました。複眼には、少なくとも5種の視細胞が⾒つかりました。紫外線に⾼い感度のある細胞が 1 種、⻘が 1 種、緑から⻩にかけて⾼い感度のある細胞が3種です。⾊覚がよく調べられている他の昆⾍との⽐較では、アサギマダラの複眼はミツバチよりはやや複雑、アゲハなどよく花を訪れる他のチョウ類よりはシンプルであることが分かりました。

また、多くのチョウ類で、刺激光が偏光だったとき偏光振動⾯の⾓度によって視細胞の反応が変わることが知られています。偏光感度と呼ばれるこの性質は⼈間の視細胞にはありませんが、アゲハは花の識別に偏光の情報を使います。偏光感度質はアサギマダラの視細胞でも確認されました。アサギマダラは、⻘空の偏光パターンを使って⾶ぶ⽅向を決めているのかもしれません。

【研究の背景】

タテハチョウ科に属するアサギマダラ(英名: Tiger chestnut butterfly 、 学名: Parantica sita )は古くから、長旅をするチョウとして知られています(図1)。

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図1)アサギマダラ。鹿児島県喜界島で木下充代撮影。

国内では 35 年以上も前から、志をもった多くの市民が「アサギマダラの会」などのリーダーシップのもと、アサギマダラの旅ルートの調査に参加しています。日本各地でアサギマダラをつかまえ、羽につかまえた日時と場所の情報を書いて放し、後日別の場所で情報が書かれたチョウが見つかったときに、その場所と日時と記録するという、壮大なプロジェクトです。

長年にわたる調査の結果、アサギマダラは、春に東南アジアや日本の南西地域で羽化して北上すること、晩夏から秋にかけては日本各地で羽化した個体がいっせいに南下することが分かっています。約3ヶ月をかけて、和歌山県から高知県を経て香港までの約 2500km を移動したという記録もあります。

アメリカ大陸ではオオカバマダラがメキシコに集まって越冬する現象が有名ですが、アサギマダラは海をわたるという点でオオカバマダラ(英名: Monarch butterfly 、 学名: Danaus plexippus )とは違い、渡りのメカニズムは未だ多く謎に包まれています。

【研究の内容】

私たちはアサギマダラの渡りの神経メカニズムを解明する研究の⼀環として、視覚器である複眼の構造とその中に含まれる光受容細胞の機能を詳しく調べました。

まず私たちは、複眼の構造を光学顕微鏡と電⼦顕微鏡で調べました。アサギマダラの複眼は、およそ 8000 個の個眼が集まってできています。ひとつの個眼には 9 個の視細胞が含まれます。視細胞は個眼の中⼼に向かって沢⼭の細い突起(微絨⽑)を伸ばし、感桿分体という⼩さな受光部をつくります。感桿分体は個眼中央で集まって、感桿という構造を作ります(図2)。感桿は 9 個の視細胞が共同でつくる、個眼の受光部なのです。

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図2)アサギマダラ個眼横断⾯の電⼦顕微鏡写真。個眼に含まれる視細胞9 個のうち、この⾯では8 個が⾒えている(1〜8)。中央の個眼で、ひとつの視細胞を線で囲んである。個眼中央部には、各視細胞の感桿分体があつまってできた感桿がある。

ひとつひとつの視細胞にガラス管で作った細い電極を刺し、さまざまな波⻑(⾊)、強度(明るさ)、振動⾯⾓度(偏光の場合)の光をあてて、視細胞の反応を解析しました。その結果、視細胞は⾊に対する感度で⼤きく3 種類に分けることができました。すなわち、紫外線細胞、⻘細胞、緑細胞です。これはミツバチをはじめとする多くの昆⾍に共通する性質です。しかしアサギマダラの場合、緑細胞が感度の幅によってさらに3 種類に分かれたので、複眼に含まれる視細胞は合わせて5種類という結果になりました(図3)。紫外線細胞と⻘細胞は垂直な⾯で振動する偏光に⾼い感度を⽰すのに対し、3種類の緑細胞は⽔平や斜めの偏光によく反応しました。偏光に対する反応性は、感桿分体をつくる微絨⽑の配列⽅向と⼀致していました。

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図3)アサギマダラ視細胞の光波長に対する感度(分光感度)。折れ線グラフが、視細胞にプローブを刺して測定した感度の結果を示す。UV,紫外線受容細胞; B,青受容細胞; bG,広緑受容細胞; dG,二峰性緑受容細胞; nG,狭緑受容細胞; 点線はそれぞれのグループの視細胞に発現していると予想される光受容タンパク質の分光吸収曲線。

チョウ類の視細胞は⼀般に⾊感度の種類が多く、⼈間よりすぐれた⾊覚をもつとされるナミアゲハ( Papilio xuthus )では 8 種類(図4)、都会でもよく⾒かけるアオスジアゲハ( Graphium sarpedon )では、 15 種類という結果も出ています。その中にあってアサギマダラの複眼は⽐較的シンプルです。詳細は今後の研究に待たなくてはなりませんが、さまざまな花で蜜を吸いつつ⻑距離を移動するという独特の⽣活史が、眼をはじめとする感覚器の機能にも反映していると考えられます。

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図4)参考情報。人間、ミツバチ、アゲハの眼にある視細胞の分光感度。人間の色覚は青、緑、赤の3色性、ミツバチは紫外線、青、緑の3色性である。アゲハは8種類のうち、紫外、青、緑、赤が色覚を担当する。4色性。

【今後の展望】

この研究で、アサギマダラの複眼の構造と感度が明らかになりました。アサギマダラには、市⺠参加によって得られつつある膨⼤かつ貴重な⽣態学的知⾒があり、これは世界でも類を⾒ないものです。アサギマダラはなぜ春に北上し、秋に南下するのか? 夏に本州で⽣まれたチョウは、いつどのようにして「渡りモード」に⼊るのか?眼に⾒えるランドマークが無い海の上で、どうやって⽅向を知るのか? そもそもなぜそんな⻑距離を⾶ぶことができるのか?

⻑距離の渡りには、視覚だけでなく、磁気感覚、⽣物時計、季節感覚など、さまざまな環境要因が影響していると考えられています。偏光の役割をはじめ、実験室の中でアサギマダラの感覚や⾏動をくわしく解析することで、野外での⾏動の謎をひとつひとつ解いてゆくことができます。アメリカ⼤陸を舞台に渡りをするオオカバマダラとの⽐較も、⽣物多様性の観点から重要かつ⾯⽩いテーマです。

【論文情報】

論文タイトル:Spectral organization of the compound eye of a migrating nymphalid, the Chestnut tiger butterfly, Parantica sita

掲載誌:Journal of Experimental Biology(2月4日公開)

DOI: 10.1242/jeb.217703

和文タイトル:アサギマダラ複眼の色構成

【著者】

Nicolas Nagloo (総合研究大学院大学・先導科学研究科・特別研究員)

木下充代(総合研究大学院大学・先導科学研究科・准教授)

蟻川謙太郎(総合研究大学院大学・先導科学研究科・教授)

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