2019.04.19

平成31年度春季入学式 学長式辞 【4月9日】

学 長 式 辞

みなさま、本日は総研大にご入学おめでとうございます。5年一貫制の方も、3年次編入の方も、これからの数年間を総研大生として博士号の研究に励むことになります。研究課題が決まっている人もいれば、まだ漠然としたアイデアしか持っていない人もいるかもしれません。誰もが、これからの研究生活に対して、大きな期待とちょっとした不安を抱いていらっしゃるのではないかと思います。本学は学部を持たない大学院のみの大学ですから、みなさんはすべて、どこかの大学の学部を卒業し、または修士課程を修了し、本学にやってきました。通い慣れた場所を離れて新しいところで研究生活を開始するのですから、不安はあって当然でしょう。

でも、みなさんは誰もが、何かの研究をしたいという欲求を持って博士課程への道を選ばれたわけですから、これから何か新しいことをやるのだという期待と興奮を胸にしておられると思います。これから先の博士号の研究は、決して平坦な道ではないと思いますが、つねに今日の新鮮な気持ちを忘れないでいてほしいと思います。

みなさんは、これから、全国各地に散らばる専攻へと分かれていくことになります。先導科学研究科はここ葉山にありますが、その他の専攻はすべて、全国各地のいろいろな場所にある研究所に置かれています。そこでは、それぞれの専門分野で世界的なレベルの研究がなされています。これからの数年間、みなさんはそこで専門の研究に従事して過ごすことになりますから、今日ここに集まった同期の人たちと、また顔を合わせる機会はそれほど多くはないかもしれません。

ここで少し、さまざまな研究分野の専攻を超えて、本学がどんな人材を育てたいと考えているか、その目標とするところをお話したいと思います。それは3つあります。一つ目は「高い専門性」、二つ目は「広い視野」、三つ目は「国際的な通用性」です。

まず「高い専門性」ですが、それは、自分の専門とする分野について熟知していることです。みなさんは、これからある特定の研究課題について研究を進めていくことになりますが、少なくとも自分が研究する対象の分野について、真に専門家にならねばなりません。それには、その分野に関する過去の研究の流れを知り、現在のその分野の状況を細部まで知っていることが必要です。そして、現在の研究で何がわかっていて何がわかっていないのか、何がこれから解決するべき重要な課題なのか、そのような未知の課題間には互いにどんな関係があるのか、ということについて自分自身の見解を持つことが必要ではないかと私は思います。

二つ目は「広い視野」です。先ほどの「高い専門性」が「深く掘り下げる」ことで、「広い視野」は横に広がっていくというイメージがありますから、この2つはベクトルが異なるように思われるかもしれません。しかし、そうではないと私は思います。「高い専門性」を持つためにも、自分の専門分野を少し上から俯瞰して見る必要があると思います。そして、その立ち位置をどんどん高くしていって、もっと遠い位置から、学問全体、人間の知識活動の全体を見ることができるようになることが、「広い視野」を持つということなのだと思います。

昨今は、それぞれの専門分野が非常に狭く、深くなってきています。その本当に狭いところだけを熟知していても、ほんの少し離れた分野になると何もわからない、というのでは、研究者として優れているとは言えないでしょう。それをもっと大きく広げていって、人類の知的活動全体の中で、自らの研究がどんな位置付けにあるのか、ある程度の見解を持つこと、そしてそれを、分野の異なる研究者や、研究者ではない一般の人々に説明することができるようになること、それが「広い視野」を持つことだと思います。

ここでちょっと、たとえ話をしましょう。オーストラリアのジガバチの一種の行動です。このジガバチは、地面に穴を掘って、その中に幼虫の餌となる芋虫などを麻痺させて入れ、そこに卵を産みます。卵が孵って幼虫になると、そこに蓄えられた芋虫が幼虫の餌となります。ところが、このジガバチの幼虫に寄生する寄生バチがいるので、ジガバチの親は、自分の卵が寄生バチに寄生されないようにしなければなりません。そこで、このジガバチは、芋虫を入れた地中の穴の上に、土で円筒の柱を作ります。その柱の高さが自分の体長ぐらいになったところで、それを下方に曲げます。そして、その曲がった先に、お椀のような傘を作るのです。これで出来上がりです。ずいぶん凝った作りですね。こんな複雑な構造物を作るジガバチはこの種類だけで、本当に彼らは専門家だと言えるでしょう。

では、このジガバチは自分の作る構造物の全体像を認識しているのでしょうか? それを明らかにするために、行動生態学の研究者が実験をしました。芋虫を入れた穴ができ、ジガバチがその口の上に円筒を作り、円筒の首を下方に曲げ始めたところで、研究者が土を持ってきて円筒を半分以上の高さのところまで埋めてしまいます。今や、円筒は地面の上にほんの数ミリしか出ていません。それでもジガバチはそのまま曲げた先にお椀を作ったので、お椀のふちが地面に近すぎて、完全な丸い傘にすることはできませんでした。それでも、ジガバチは気にしないようです。

次に研究者は、ジガバチが地面の穴の上に円筒を作り、その先を下方に曲げ、お椀のような傘を作るという工程の全部をほとんど終えたところで、傘の真ん中に、地面の穴と同じ大きさの穴を開けました。するとジガバチは、その穴の上にまたもや円筒を作り始め、自分の体長と同じくらいになったところで、その先を曲げ、そこにお椀の傘を作ったのです。これで、構造物の全体が2階建てになってしまいました。

さらに、研究者は、その2階建ての傘の上にもう一度穴を開けてみました。するとジガバチは、またもやその上に円筒を作り始め、構造物は3階建てになりました。それでも彼らは気にしないようです。これら一連の実験から、ジガバチが自ら作る構造物の全体像をまったく把握していないことが明らかとなりました。地面に穴を掘って、その中に芋虫を入れる、そこに産卵する、その穴の上に円筒を立てる、その先を下方に曲げる、そこにお椀型の傘を作る、というそれぞれの工程は、きわめて洗練された行動なのですが、おそらく、非常に単純なアルゴリズムで行われているのでしょう。

その仕組みはさておき(今日は行動生態学の話をするのではないので)、「広い視野」というものを持つためには、もっと高いところから、このジガバチの作業の全体を見なければならないでしょう。「高い専門性」という点でも、しかり。それぞれの工程をこなすに十分な技量があるというばかりでなく、作業全体を少し上から見て、そもそもこの構造物を作る目的を理解し、各工程どうしの関連を理解しなければなりません。

それをさらに広げて「広い視野」の獲得に至るということは、さらに高くまで上がり、この自分の巣のみならず、周囲に生息するさまざまな生物がおりなす生命活動の全体を俯瞰し、その生態系の中でのジガバチ自身の位置付けを理解するということになるのではないでしょうか。

21世紀の今日、学問の蓄積は膨大な量に上り、分野の広がりも広大です。その全貌を一人の人間が把握することは不可能です。「広い視野」を持つとは、「なんでも知っている」ということではありません。「広い視野」を持つとは、世界の広さについて想像ができ、自分が知らない世界がたくさんあるということを知ることでもあります。一人の研究者として、また一人の人間として、研究とはなんであり、人類の知的作業とはなんであるのか、知らないことも含めて想像力を持ち、その意味づけができるということなのだと思います。

私はこのジガバチをバカにするつもりはありません。彼らの巣作りは、大変高度な技術であり、彼らはおそらく数千万年にわたって、この方法でうまく存続してきました。意地悪な研究者に巣を乱されるなどということは、普通は起こらないことなので、これで十分だったのです。

さて、最後の「国際的な通用性」ですが、これはなんでしょう? 国際的に高く評価される業績を出すということでしょうか? それは大事です。また、国際化というと、英語で論文を書くことができ、英語でコミュニケーションが取れるという能力がすぐに思い浮かびます。ひと昔前は、それが目標だったかもしれません。優れた業績を出すことも、英語が使いこなせることも重要ですが、もう一つ、現代の世界で重要なのは、異なる文化の人たち、異なる価値観を持つ人たちと、互いを尊重しながら一緒に働くことができる、ということではないかと思います。

研究は、自分一人で考えねばならない孤独な部分もありますが、多くの人々との共同作業が必須な部分もあります。日本ではなく、世界のいろいろな場所で行わねばならないこともあります。そんな中で、異なる文化の人たち、自分とは異質な背景を持った人たちと人間として付き合い、違いを超えて共通の目標に向かうことができること、それこそが、現代の「国際的な通用性」ではないかと思うのです。

ジガバチは基本的に単独性の動物なので、他者と共同作業をしません。「国際的な通用性」に関して、彼らに登場してもらえないのは残念です。

今日は、本学が育成をめざす人物像について、3つの観点からお話しました。入学式のあとには、フレッシュマン・コースがあります。そこで、同期のみなさんや先輩の方々と知り合い、これからの研究生活について語り合ってください。総研大生としてのこれからの研究生活が、実り多いものとなること、そしてよい博士論文を完成させることができることをお祈りいたします。本日は、まことにおめでとうございます。

平成 31 年 4 月 9 日

総合研究大学院大学 学長

長谷川 眞理子

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