2019.03.22

平成30年度春季学位記授与式 学長式辞 【3月22日】

平成30年度春季学位記授与式 学長式辞【3月22日】

学長式辞

みなさま、本日は、みなさまの数年にわたる努力の結果が実り、博士号を授与されることになりましたこと、心からお喜び申し上げます。長い道のりだったでしょう。さまざまな苦労があったと思います。私自身、はるかに何十年も前のことですが、苦しかったことを今でもよく覚えています。とくに、博士論文執筆の最後の数ヶ月は大変でした。研究それ自体は楽しいのですが、それをまとめて一つの博士論文に仕上げるというのは、実に大きな作業です。それをやり遂げ、最終試験に合格されましたこと、本当におめでとうございます。

私は、毎年、学位記授与式の祝辞で述べているのですが、晴れて博士となった今、博士号の研究を完遂することで、自分は何を身に付けたのか、今一度、みなさんに振り返っていただきたいと思います。みなさんは誰もが、それぞれの分野における新たな問題に挑戦し、まだ誰も発見していなかったこと、まだ誰もその観点から分析しなかったことについて研究してきました。その結果として、人類の知識の体系の中に、一滴の新たなしずくをつけ加えたのだと思います。その意味で、大きな貢献をしました。

しかし、それだけではなく、博士論文のための研究を成し遂げ、それを一つの論文としてまとめあげる、という作業を通して、みなさん自身、どんな新たな能力を身に付けたと思われますか? 総研大に入学した数年前と比べて、人間として、どのように成長したと思われるでしょうか?

人類は、古代からさまざまな知的な探求を行ってきました。そこで積み上げられてきた知識は膨大な量に及びます。その意味では、知的探求は人類全体の共同作業であり、一人一人の研究成果は、先ほど述べたように、人類の知識の体系の中に1滴のしずくをつけ加えた、という表現のようにわずかなものかもしれません。

アイザック・ニュートンは、 1642 年生まれの偉大な科学者で、近代科学の元祖の一人とも言われています。誰もがニュートンとその業績をご存知でしょう。彼は、万有引力の法則を発見し、光学の基礎を築くなど、近代物理学に大きな貢献をしました。ロバート・フックという物理学者をご存知ですか? 彼も、英国の同時代の物理学者で、バネのフックの法則で有名です。また、顕微鏡を用いてさまざまなものを観察し、『ミクログラフィア』という書物を著したことでも有名です。

ニュートンとフックは同時代人で、いろいろと論争をしました。フックは 1635 年生まれなので、ニュートンより 7 歳年上です。ところが、フックは 1703 年に 68 歳で亡くなりますが、ニュートンは 1727 年、 85 歳になるまで長生きしました。そこで、ニュートンはフックの死後に英国王立協会の会長となり、権勢をふるった結果、フックの業績を低く評価し、フックの名声をおとしめる方向に動いたようです。やはり、長生きはしたほうが得なのでしょう。そのあたりのおもしろい話はたくさんありますので、ご興味のある方はお調べください。

ところで、そのニュートンですが、ロバート・フックに、万有引力の法則のような素晴らしいことをどうやって考えついたのか、と問われた手紙に対する、 1676 年の返信で、「もしも私がみんなよりも少しでも遠くを見通せたのだとしたら、それは、巨人の肩の上に乗っていたからです( If I have seen further, it is by standing on ye shoulders of Giants. )」と答えました。この話が有名になり、「巨人の肩の上で」という言い回しは、次の世代の業績は、先人の知見の積み上げの上で初めて成り立つ、という蓄積的な進歩を表したものと言われています。

しかし、これが本当にどんなつもりでの発言だったのか、そして、ニュートンの当時の意図とは別に、この言い回しの指し示すところは何なのかについて、いろいろな解釈が表明されてきました。ニュートンがどういうつもりでこう言ったのかについては、額面どおりの、言わば謙遜な発言であるという解釈もあれば、「先人たちの知の体系の上に立って乗り越えられたのは自分だけだった、ほかの人はできなかったけれど」という、隠れた自慢の意味合いがあったという解釈もあります。ニュートンは結構、自信にあふれた性格だったようですから、あながち間違いとも言えません。

ニュートン自身の意図とは別に、科学の進歩について、この言い回しの意味するところについても、いろいろと議論があります。科学の進歩は、少数の天才科学者、つまり「巨人」による貢献が大で、もろもろの学者たちの貢献は、たいしたことではない、という解釈が一つ。もう一つは、科学の進歩は、大勢の科学者たちの共同作業が集まって現在の土台を作っているのであり、つまり、その総体が「巨人」なのであり、次の世代のどの科学者もその肩の上に乗って、次の世代の「巨人」を形作っていくのだ、という解釈です。

さあ、みなさんは、この2つの解釈のうちのどちらだと思いますか? 私は、どちらの解釈にも一理はあると思います。でも、今日、みなさんに考えてもらいたいのは、どちらかと言えば、後者の考えにそったものです。今日ここにおられるみなさんご自身は、後世に残る天才の「巨人」ではないかもしれません(もちろん、そんな方がおられれば、おおいに喜ばしいことではありますが)。それでも、みなさんの誰もが、これまでの先行研究をまとめ、それとは異なる分析をし、成果を出せたわけですから、「巨人の肩の上に乗る」ことができたのだと私は思います。

そこで考えていただきたいのは、そうする過程で、自分は何を身に付けたのか、ということです。ニュートンが暗に示唆したと言われるように、何か特別な能力がもともとなければ、巨人の肩の上には乗れなかったのでしょうか? それとも、研究者が自分独自の研究をするには、とくに天才でなくてもかまわないのかもしれません。でも、天才かどうかはともかく、博士論文提出という大きな作業を成し遂げたからには、何か、かつての自分にはなかったものを得たに違いないのだと思います。初めから自分に備わっていたものではなく、この作業をすることで身に付けた何か、それは何だったのか、考えてみてください。そして、その能力を、この先の人生で十分に活用していただきたいと思います。

そもそも、博士論文研究に身を投じようと思うのには、持って生まれたなんらかの気質が関係しているのかもしれません。好奇心、探求心の強さ、説明ができると、できないときより嬉しいと思う気持ち、などなどです。しかし、そこから出発したとして、研究を続け、論文としてまとめる過程で、みなさんは、それまでになかった新たな能力を身に付けたはずです。それをご自身で自覚し、今後の人生がどんなものであれ、どこに行こうと、何があろうと、その能力を使って新たな地平を切り開いていっていただきたいと望みます。

研究者として身を立てていくのは、ますます困難な時代になっています。とは言え、「研究者」というカテゴリーも、かつての時代のような狭いものではなくなりました。研究者として自分を活かす道は、一つではありません。博士号取得は一つの節目です。自分の博士号研究という狭い分野にとどまらず、一般的な能力として、この数年の間に自分は何を身に付けたのか、どのように成長したのか、それを自覚し、飛躍してください。そのような能力を身に付ける舞台を総研大が提供できたとしたら、それは、私たち大学関係者みんなの喜びです。

本日は、まことにおめでとうございます。これからのみなさんのご活躍を祈念いたします。

2019年3月22日

総合研究大学院大学長

長谷川 眞理子

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