2018.04.18
平成29年度春季学位記授与式 学長式辞 【3月23日】
学長式辞
本日は、みなさんにとって大きな節目の日となります。総研大の専攻に入学し、博士論文の研究を始めることになった最初の日のことを覚えていますか? あれから3年、または5年、場合によってはもう少しかかったかもしれません。今、みなさんは、博士論文を提出し、最終試験に合格して、博士の学位を得ることになりました。本当におめでとうございます。今日までの日々、いろいろなことがあったと思います。研究を志す者にとって、研究することは楽しい営みでありますが、毎日が順調というわけではありません。さまざまなご苦労があったことでしょう。それらを乗り越えて今日という日を迎えることができたことに、心からお喜び申し上げます。これまでの日々を支えてくださったご家族の方々、指導教員の先生がたにも、お祝いと、そして感謝の意を表したいと思います。
理系の学界では、博士号というものは一人前の研究者として巣立つための必需品で、いわば、運転免許証のようなものだと言われています。(人文系では、もう少し高く評価されているのかもしれませんが。)運転免許証は、公道で運転する資格があるという証明で、それがなければ車の運転はできません。同様に、研究者として世間に認められる地位につくには、普通、博士の学位が必要です。では、運転免許証を取りさえすれば、どこにでも、どんな場所にでも行けるかと言うと、それは本人の運転の技量によります。それと同様に、博士号さえ持っていれば、それで研究者として完成したかと言えば、とんでもないことです。みなさんは、今日、研究者としての出発点に立てることになりました。これから、研究者としての技量をさらに磨き、いつまでもさらなる高みを目指しながら、それぞれの目標を追求していくことになるでしょう。
一方、博士号を取得したからと言って、研究者になることだけが将来の道とは限りません。学位を持ちながら、研究以外の職につくのも一つの道です。学位とは何でしょう? 学位を取得したということで、自分は何を得たのでしょうか? この先の進路が研究者であれ、別のものであれ、みなさんには、そのことをじっくり考えていただきたいと思います。みなさん一人一人の研究は、宇宙科学だったり、遺伝学だったり、日本文学だったりと、さまざまでしょうが、抽象化すると、「ある分野の、ある題材について、先人たちが行った研究を概観した上で、さらに深く独自の観点の研究を行って、何かをつけ加えることができた」、ということだと思います。それが何を意味するのか? 「○○という遺伝子の働きについて○○を解明した」とか、「○○という星の生成に関する○○を解明した」とかではなくて、一段抽象化したレベルで、5年前、3年前の自分に比べて、今、自分にはどんな能力や価値が付け加わったと思うか、それを考えてください。それを自覚することができれば、この先の進路が研究者であれ、ほかの職業であれ、学位取得の過程で身に付いた能力を「運転免許証の中身」として活用していくことができると思います。
総研大の卒業生がどのような職についてその後の人生を送っているのか、残念ながら、正確には把握できていません。しかし、およそ60パーセントは、研究者になっているようです。総研大は修士号を出さない、博士人材育成だけの大学院大学ですから、この数字も驚くべきではないでしょう。みなさんには、博士号取得の研究を通じて得たものを糧に、これからの研究コミュニティを、そして、もっと広く社会を変えていく原動力になっていただきたいと望んでいます。
とは言え、現状を変えて新しい境地を開いていくためには、ほかの人が考えないことを考えねばなりません。そういう新奇なことを考えつくには、何が必要でしょうか? 先日、私は、ノーベル賞科学者数人を含む世界の研究者とともに「食料の未来」を考えるシンポジウムに、一つのセッションのモデレーターとして参加しました。本学の基礎生物学専攻の教授でいらして2016年度のノーベル医学・生理学賞を受賞された大隅良典先生も参加され、基調講演をされました。このシンポジウムの最後に、ノーベル賞受賞者の方々に「創造性はどうやって生まれるか?」を問うセッションがありました。が、誰も即答はできず、「どこから来るんでしょうね?」というのが感想でした。
しかし、話を進めていくうちに、いくつかの条件が明らかになってきました。一つは、「ある問題をずっと長く追究し続ける持続性」、もう一つは、「異なる分野の研究者たちの間でのオープンな議論」です。最初の持続性については、研究者個人のあり方がおおいに影響します。おもしろいと感じた問題にずっとこだわり続ける性格というか、持久力というか。目先の利益を超えて、自分が本当に追究したいことを追究し続ける力です。二番目の条件には、しかし、研究者個人のあり方に加えて、その研究者が置かれている研究環境がおおいに影響します。異なる分野の研究者たちの間でのオープンな議論ができるためには、研究者個人が、そもそも、異なる分野の研究者たちといろいろな議論をしたいと欲する人でなければなりません。しかし、そう欲する研究者がいたとしても、それが成り立つ研究環境がなければ、このような状況は実現できません。
研究はしばしば競争的な状況にあるので、他の分野の研究者と話をしているヒマなどない、外で自分の研究の話をするとアイデアを盗まれるかもしれない、などと考える研究者が多くを占めているような職場では、異なる分野の研究者たちの間でオープンな議論をする環境は作れないでしょう。そうすると、長期的に見て、そういう職場環境では、本当に新しいアイデアは生まれないということになりそうです。そういう研究環境は、短期的な競争にあくせくしていて、長期的なメリットを失う結果に終わるということです。
私は、あのノーベル賞受賞者たちの議論に賛成です。本当に創造性を育むためには、個人の資質と職場環境の双方が重要です。みなさんには、個人として自分が本当におもしろいと思った研究課題は、ずっとしつこく追究する持久力を持っていただきたいと思います。さらに、短期的な競争にあくせくするのではなく、異なる分野の研究者たちの間でのオープンな議論を楽しむ余裕を持った人間であって欲しいと望みます。そして、その重要性を周囲に喚起することによって、より創造的な職場環境を作る原動力になって頂きたいと望みます。学位を取得したばかりの若いみなさんは、まだ、自分にそんな力はないと思われるかもしれません。でも、若いころから理想を胸に持って行動していなければ、理想は決して実現できないのです。私も非力ではありますが、若いころから、理想とするもののために闘ってきたという自負はあります。
私の専門とする進化生物学の分野で20世紀初頭に大きな貢献をした、J. B. S. ホールデンという英国の科学者がいます。彼は、誰も考えなかったことをいくつも提唱した、非常にユニークな学者でした。新奇な考えは、初めはなかなか受け入れられないものです。彼は、新奇な考えが、やがて学界で一般に受け入れられるようになる過程には4つの段階があると言いました。第一段階は、「無価値で馬鹿げているThis is worthless nonsense」、第二段階は、「おもしろいが突拍子もないThis is an interesting, but perverse, point of view」、第三段階は、「正しいが重要ではないThis is true, but quite unimportant」、そして第四段階は、「昔から私もそう思っていたI always said so」。
新しい考えを提出するのは難しいことです。でも、そういう考えが提出されたときにそれをどう考えるか、その態度を決めるのも難しいことです。そのとき、できれば、初めはなんだかんだと文句をつけておきながら、最後は「昔から私もそう思っていた」というような人物では、あってほしくないと思います。みなさんには、これから、そのような見識、新しい考えに対する「目利き」を養っていただきたいと思います。みなさんには今日、ずいぶんとたくさんの要求をいたしました。でも、総研大の博士として、将来の日本を変えるという自負を持って行動していただきたいという望みです。みなさまのこれからのご活躍を期待し、今日の日を祝いたいと思います。今日は本当におめでとうございます。
2018年3月23日
総合研究大学院大学長 長谷川 眞理子