2017.05.12

神奈川新聞掲載コラム 松尾瑞穂

生殖医療に文化影響

文化科学研究科
比較文化学専攻 准教授
松尾 瑞穂(まつお みずほ)

総合研究大学院大学文化科学研究科比較文化学専攻准教授。総合研究大学院大学博士課程単位取得退学、博士(文学)。インドにおけるジェンダーとリプロダクション、生殖医療について研究している。

不妊治療にまつわる先端的な医療のことを補助生殖医療(ART)という。1978年に英国で、卵子を体外に摘出し、精子と受精させてから再び子宮に戻して着床させる体外受精がはじめて成功した。それは世界に衝撃を与え、「生殖革命」の始まりとなった。その後、ARTは一気に進展し、体外受精は一般的な不妊治療となった。

一度確立された科学技術は、条件さえ整えば、どこでも実施可能な普遍的なものである。ところが、実際には科学技術をどこまで、どのように、誰が利用するのかというのは、社会的要因と深く結びついた、文化が左右する現象である。

例えばインドでは、これまで商業的代理出産が認められており、年間1000人近くの子どもが代理出産で誕生してきた。卵子の売買も盛んである。その背景には、人口規模の大きさや貧困層の多さ、生殖医療を扱う医師の多さといった政治経済的理由がある。さらに父系社会において、子どもが作られるのに卵子が寄与するとは思われていないといった民俗生殖論や、いかなる手段であれ子どもを持つことを善とする家族規範、母性を称揚するジェンダー規範なども大きく関係している。

また、カースト制度という社会制度によって結婚相手が決められるヒンドゥー教徒の間では、精子や卵子の選択にはドナーの学歴や年齢のほかに、カーストや宗教も重要な要因となる。特に、ヒンドゥーとムスリムの社会的対立が深化するにつれ、異教徒間での精子や卵子の売買や代理母契約は、病院側もあらかじめ避ける傾向にある。このように、先端医療の現場もきわめて文化の影響を受ける場なのである。

これを私は「科学技術の文化論」と呼び、人類学的研究を続けている。

インドの都市部では不妊専門クリニックが増加ている

(協力=科学コミュニケーター・西岡 真由美)

このコラムは2016年6月~2017年5月まで24回にわたり神奈川新聞にした
連載「総研大発 最先端の現場」に一部加筆・修正(写真の差し替え)をしたものです。

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