2017.04.11

平成29年度春季入学式 学長式辞 【4月11日】

「ne plus ultra」、「plus ultra」

新入生のみなさま、ようこそ総研大へ。今日はご入学、本当におめでとうございます。この新年度からの新しい学長として、心より歓迎の意を表します。総研大は、学部を持たない大学院だけの、日本ではじめての国立大学として、1988年に開設されました。日本では、学部から大学院に進学するときの流動性 が諸外国に比べて低く、ほとんどの大学院では、同じ大学の学部からの進学者が半分以上を占めています。そんな中、みなさんは全員、もとの古巣を飛びだして総研大を選んで来られた方々ですので、まず、その勇気と進取の気性に敬意を表したいと思います。
総研大は、各地に点在する大学共同利用機関IURIである研究所を基盤parentとした大学院です。それぞれの研究所は、日本で、また世界でもトップクラスの研究をしている場所です。先導科学研究科は、そのような基盤機関を持ってはいませんが、生物の進化と「科学と社会」に関し、日本でもユニークな拠点となる研究を行っています。このような場所で学位研究を行おうとするみなさんは、普通の大学に接続した大学院で研究する院生とは、まったく異なる環境に置かれることになります。まず、研究所がそれぞれ全国に散らばっている、それらの研究所には院生の数よりずっと多くの先生たちがいる、その先生たちは学部学生など教えていなくて、始終、世界でトップクラスの研究に従事している、ということで、みなさんは、いきなり研究者集団の中に投げ込まれるのです。
研究以外の楽しみや気晴らしという点では、他の大学の大学院に比べてさびしいところがあるかもしれません。でも、どの専攻でもみな、院生たちを大事に思い、さまざまな楽しい環境を提供しようと努力しています。そしてみなさんも、何か気になることがあれば、自分たちの研究環境をよりよいものにするよう、自分たちで考え、提案し、改良していってください。1年たてば、もうすぐに、みなさん自身、先輩になるのですから。
みなさんは、これから総研大で学位論文のための研究を行い、博士号を取得し、ゆくゆくは日本、そして世界の学界をリードしていく研究者を目指しているでしょう。そこで、科学研究について少し話したいと思います。総研大の多くの専攻は自然科学なので、これから自然科学の研究を念頭において話しますが、それは人文系諸学にも同じようにあてはまると私は思っていますので、そのつもりで聞いてください。
古代ギリシャ、ローマの時代から長らく、西欧世界の文明は地中海を中心に発展してきました。その後、ヨーロッパ大陸とイギリス諸島にも文明が広がりましたが、中東の南にあるアフリカや、中東の東に広がるアジアについては、ともかくも陸続きなので、西欧の人々は、それなりに交流もし、想像力を働かせてきました。しかし、ヨーロッパの西はどうでしょう? 地中海の西の端はジブラルタル海峡です。ここは、古代ローマのころから世界の果てと思われていました。そこにはヘラクレスの柱と呼ばれる2本の巨大な石柱があり、そこには「ne plus ultra」という文字とともに、それより先に行ってはならないという警告があったといわれています。「ne plus ultra」とは、「この先はなし」という意味です。
中世の間、このジブラルタルを領有していたのはスペインでした。スペインにとって、ここを守っているということは、世界の果て、その先は底なしの海に落ちるという最先端の場所を守っていることになります。それはそれでスペインの誇りでしたので、スペイン王国のモットーは「ne plus ultra(この先はなし)」でした。
ところが、地球が丸いのであれば、ヨーロッパから西へ西へと行けば、東のアジアに達するはずだという考えのもと、1492年にスペイン王室の援助を得てジブラルタルより西に航海したコロンブスが、「西インド諸島」と呼ばれる地域に到達しました。つまり、ジブラルタルは世界の果てでも何でもなく、その先にも世界はあったのです。
さて、そうなると、スペイン王国のモットーである「ne plus ultra」は間違いです。この事実に直面したスペインが行ったのは、私は感嘆しているのですが、最小限の改変によって最大限の意味の転換をはかる解決でした。つまり、単純に「ne」をとって「plus ultra」にしたのです。これで、「この先はなし」が「ここから先へ、さらに先へ」という正反対の意味になりました。そして、新大陸発見を機にその後の西欧がたどっていく歴史的運命に、これほどふさわしいものはなかったでしょう。その後の西欧世界は、スペインを始めとして全世界に探検隊を派遣し、飽くなき欲望によって、先へ、さらに先へと世界の多くの地域を植民地化していったのです。植民地として支配されていった地域の人々にとっては、災難でしかありませんが。
実際にスペインのモットーをこのように変えたのは、コロンブスに資金援助したイザベラ女王とフェルディナンド王の息子であるカルロス5世で、1500年ごろのことのようです。カルロス5世は神聖ローマ帝国の皇帝でもあり、事実、世界中を支配したので、「plus ultra」は本当にふさわしいモットーでした。
ここで科学の発展を考えてみましょう。科学研究には、やがて終わりがくるのでしょうか? または、科学研究には、どうしても答えられない限界というものがあるのでしょうか? 先の疑問は、科学という探求が底を突くときがあるのか、という問題です。二番目の疑問は、科学をどれほどつきつめても、しょせん科学では答えられない疑問があるのか、という問題です。科学研究には「ne plus ultra」があるのか、それともいつまでも「plus ultra」なのか? 科学だけではありません。人文系諸学についても同じです。知的探求には限界があるのか? これは、考える価値のある問題です。
実は、この話は、私が一から発掘してきたわけではありません。ブラジル生まれのイギリスの免疫学者で、1960年のノーベル医学・生理学賞を受賞したピーター・メダワーが、「The Limit of Science」という随筆集の中で書いています。みなさんはどう思われますか? 私は、みなさんがこれからの数年間を総研大で過ごして学位研究をし、学位論文を書く間に、このような大きな問題について、何度かは、ほとんど徹夜で議論するような機会を持って欲しいと願っています。できれば、専門の違う人たちもいっしょに。
最初の疑問に関してですが、19世紀の終わりごろ、当時のプロシア政府(今のドイツ)は、もうそろそろ新しい発明発見は出てこないだろうということで、特許庁を閉鎖しようとしたことがあったそうです。とんでもありません。その後も発明発見は相次いで生じ、うなぎのぼりでしたから、特許庁が本当に閉鎖されることはありませんでした。自然科学一般の探求において、新しい発明発見が底を突くことは、これからもおそらくないに違いありません。
では、二番目の疑問はどうでしょう? 科学がどんなに進んでも、科学が答えることはできないことがあるという点で、科学に限界はあるでしょうか? それはあります。「私の人生にはいったい意味があるのか」、「あのときあの決断をしたのは果たしてよかったのか」、「絶滅危惧種を守ることは本当に大事なのか」、といったような価値の問題に答えることは、科学にはできません。これらの問題には、事実や因果関係の特定や、理論的整合性があるだけでは結論が出せない要素が含まれています。それは、「何をよしとするか」という価値の問題です。科学的探求の結果は、価値の問題に直接答えることに関しては無力です。でも、だからと言って、科学が価値判断にまったく関係がないわけではありません。科学的事実や科学的予測は、私たちが価値判断をするにあたって、大いに役立つ材料を提供してくれます。ですから、科学は価値とは独立だとは言うものの、価値判断と無関係ではないのです。
本日は、みなさんの、研究者としての始まりの日です。これから数年の間、みなさんはご自分の研究に専念し、さまざまな困難に直面しつつも、大きな発見の喜びをもまた味わうチャンスがあるでしょう。この激しいアップダウンの世界にようこそ。そして、ここに述べましたような、知的探求とは本質的に何なのかをめぐる根源的な問題にも目を向け、研究を十分に楽しみながら、優れた博士論文を書き上げることができますよう、お祈り申し上げます。本日は本当におめでとうございます。

2017年4月11日

総合研究大学院大学長 長谷川 眞理子

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